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大阪地方裁判所 昭和35年(ワ)3798号 判決 1965年2月25日

原告 岡本政人

原告 岡本きくえ

右両名訴訟代理人弁護士 中西清一

被告 梁川丞浩

右訴訟代理人弁護士 遠山丙市

同 田利治

同 前川澄

同 早川健一

右早川健一訴訟復代理人弁護士 斎藤純一

主文

原告らの請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、原告岡本政人が亡岡本宣昭の実父、原告岡本きくえがその実母であること、宣昭が、昭和三五年三月二六日午前一時三〇分頃、東京都荒川区南千住町先路上において、自家用自動車を運転中交通事故を起こし、第一腰椎脱臼及び椎弓骨折兼脊髄損傷、脳震盪、後頭部切創の傷害を受け、被告の経営にかかる同区同町一丁目二番地三ノ輪病院に入院し、治療を受けているうち、同年五月六日病院整形外科勤務の医師木村邦男こと金仁洙により腰部の骨移植による脊椎固定手術を受けたところ、右手術の術中及び術後における多量出血に基づく所謂二次性ショックにより、同日午後一時三〇分頃同病院において死亡したこと、医師早川潤が同病院の外科医で、宣昭死亡当夜宿直医師として同病院に勤務していたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二、よってまず、宣昭に対して骨移植による脊椎固定手術を施すことが、同人の治療として適切であったかどうかについて判断する。

≪証拠省略≫を総合すると、宣昭は交通事故により受けた第一腰椎の脱臼及び椎弓の骨折により脊髄が圧迫され、これがため下半身が麻痺状態となったが、三ノ輪病院に入院して医師金仁洙の治療の下に、昭和三五年三月二九日から継続的にグリツソン氏牽引法による治療を受けることにより、右腰椎の脱臼が表面上治癒し、椎弓の骨折も日時の経過とともにある程度融合したので、同年四月二〇日右牽引を除去され、下半身の麻痺も軽度のものになったけれども、なお病床に臥したままで、附添婦の世話を受けていたものであって、起き上がれば再脱臼の懼れが多分にあり、そのまま放置すれば、一生神経病に悩まされるか、あるいは下半身の麻痺も再発する危険があったため、医師金仁洙は、宣昭に対し、脊椎を固定するためすでに同医師が数多く経験している骨移植による脊椎固定術の手術を受けることを勧めたところ、同人もこれを承諾し、この旨両親である原告らにも通知していたこと、脊椎固定術が脊髄の損傷に対する神経症状の予防又は改善を目的としてなされるのであれば、受傷後四八時間以内に行なわれるのが望ましく、受傷後三週間以上経過後になされても右目的を達成し難いものであるけれども、それが腰椎の脱臼部及び椎弓の骨折部が長期にわたり不安定であるためこの局所を固定する目的でなされるのであれば、若干なりともその効用を認めることができ、右手術に際し生命の危険が伴うことは通常ほとんどありえないこと、以上の事実を認めることができ、他に右認定を左右するに足る確証がない。右認定事実によると、本件骨移植による脊椎固定術が本件のような傷害の治療について顕著な効果をあげうる方法であるとはいい得ないとしても、損傷部の再脱臼を防止するために若干なりともその効用を認めることができるのみならず、右脊椎固定術を施すことについては、宣昭もこれに同意していたのであるから、同人に対し脊椎固定術を施行したことについて、医師金仁洙に過失があったということはできない。

三、そこで宣昭に対してなされた脊椎固定術自体並びにその後における治療ないし処置について、医師金仁洙及び同阜山潤に過失があったかどうかについて検討する。

≪証拠省略≫を総合すると、脊椎固定術による手術に先立ち、昭和三五年五月五日に行なわれた検査の結果、宣昭の血液凝固時間が三分であると測定されていること、右手術は同月六日午後二時頃より約二時間三〇分にわたり医師金仁洙の執刀により看護婦四人の補助の下に輸血しながら施行されたものであるが、その経過はまず宣昭に腰椎麻酔をし、食塩水を注射してから、局所椎骨棘突起及び椎間靱帯を縦切し、骨膜とともに筋層を剥離し、破壊された椎弓と棘突起を圧迫止血しつつ、それらの骨髄を露出し、一方左側腸骨骨膜を大臀筋とともに剥離した後、その外側の骨片及び骨髄を採取し、これらをもって脊椎を固定させることにより行なわれたこと、その際重要血管を損傷させることはなかったが、骨髄を露出させる手術であるため、多量の出血が予測され、事実血液が滲出するので、手術中ガーゼや筋肉で圧迫し止血を施し、手術が終わるや宣昭をギブス床に臥床させて創面を圧迫し、かつ絶対安静の状態を保持し、手術室から病室に移してからも手術中の出血を三〇〇CCとみて六〇〇CCの輸血をし五〇〇CCの糖液を注射していること、手術後医師金仁洙は午後七時までの間に三回ほど回診して宣昭を観察し、同人の血圧が同日午後六時に九五から五〇、午後七時に一〇〇から七〇と徐々に良好な状態に向かいつつあったので、附添婦に十分看視するよう申しつけるとともに宿直医たる阜山医師に対しても一応注意してくれるよう引き継いだ上、同日午後七時過ぎ帰宅したこと、宣昭は、同日午後七時過頃麻酔からさめて意識が回復し、その後別に状態の変化がなかったが、午後一〇時三〇分頃に至ってにわかに胸部及び腹部の激痛を訴えたので、附添婦からその報告を受けた阜山医師が直ちに診察したところ、血圧が九〇から四六でやや下降する気配をみせたため急いで輸血(二〇〇CC)し、その間心音が微弱になったので、強心剤その他止血剤等を注射する等の処置を講じたが、所謂ショック状態が進行し、宣昭はついに同日午後一一時二〇分頃死亡したこと、宣昭は大動脈発育不全、胸腺リンパ腺肥大の特異体質の持主であったが、同人の生前これを外部から診断することは不可能であったこと、宣昭は右手術により手術箇所の骨髄から出血したので血液の凝固性に変化を来たし、貧血状態に陥ったためショックを起こしたところ、同人が前示のような特異体質の持主であったためこれに耐えることができず、所謂ショック状態が進行してついに死亡するに至ったものであること、以上の各事実を認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠がない。

およそ医師たる者は、人の生命及び身体の安全を図るべき重大な責任を伴う職業に従事するものであるから、治療のためにする処置であっても、いやしくも人の生命及び身体の健全性を損う可能性がある限り、通常人より高度の職務上の注意義務を負担していることは多言を要しないところであるけれども、治療時におけるわが国の治療技術の水準からみて、専門医として当然なすべき注意義務、いいかえれば、危険な結果発生について予見義務及びその結果の発生を避けるのに必要な最善の注意義務を尽している場合にはたとえ治療の結果予期した成果を挙げることができず、患者を死亡するに至らしめ、又はその身体の健全性を損うに至らしめたとしても、右の結果に対して、医師が無定限の責任を負ういわれがないものといわねばならない。

これを本件についてみるに、前示認定の事実に徴すれば、医師金仁洙並びに医師阜山潤の両医師が、本件手術中及びその前後に採った処置はいずれも、同種手術を施行するにあたりわが国における専門医として一般に必要とされている治療の処置として適切妥当なものであったというべく、他に本件手術前後の処置について、両医師が医師としての最善を尽くさなかったという事実の存在を認めるに足る証拠がないから、結局両医師の本件手術前後に採った処置に過失があったということができないところである。

もっとも証人佐藤和歌、同阜山潤同び同金仁洙の各証言を綜合すると、本件手術当日午後七時過ぎに医師金仁洙が帰宅してから午後一〇時三〇分頃附添婦の急報により医師阜山潤が診察するまで、右医師らが宣昭を看視していなかったことが認められるけれども、前示認定のような手術後午後七時過ぎまでにおける宣昭の容態の経過からみて、その後における同人の看視を附添婦のみに一任したことをもって、両医師に過失があったと速断し難いところである。のみならず前示認定のとおりの事実、即ち、右時間内においては宣昭の状態に異常がなかったこと、手術中及びその後において十分の輸血がなされていたこと、宣昭は胸腺リンパ腺肥大の特異な体質の持主であって抵抗力が微弱であったこと等の事実に、証人河野林の証言、及び前掲各鑑定の結果を考え合わせると、仮に前示医師らにおいて右時間中継続して宣昭の看視を続けていたとしても、これにより同人のショック状態発生を防止しえたと断定し難いところであるから、右の看視をしなかったことについて仮に両医師に責められるべき点があったとしても、これと宣昭の死亡との間には、相当因果関係がないといわねばならない。

四、してみると、宣昭の死亡による損害が、医師金仁洙及び同阜山潤の過失ある手術ないし治療により発生したことを前提として、右医師の使用者たる被告に対し、これが賠償を求める原告らの本訴請求は、右両医師に過失が認められない以上、その余の点について判断するまでもなく、いずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 下出義明 裁判官 寺沢栄 喜多村治雄)

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